教科書改善の会

改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会(代表世話人・屋山太郎)

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沖縄戦集団自決記述に関する見解

         高校日本史教科書「沖縄戦『集団自決』」記述をめぐる
         検定意見撤回を求める動きに関する当会の見解

                                             平成19年10月15日
           
                     「教科書改善の会」(代表世話人 屋山太郎)
                     (改正教育基本法に基づく教科書改善を求める有識者の会)

 文部科学省は、来年4月から使用される高校日本史教科書の検定において、沖縄戦でのいわゆる「集団自決」について、日本軍の「命令」や「強制」によるものとした記述に検定意見を付け、修正を求めたが、最近、これを不服として、検定意見撤回を求める運動が沖縄を中心に全国に広がりつつある。特に9月29日に開催された沖縄県民大会に多数の人数が集まったことにより、政府もこれに動かされる形で、各教科書会社による自主訂正を容認する形での、「事実上の検定意見撤回」を実現させ、いわゆる「集団自決」について日本軍の「命令」や「強制」によるものとする記述を復活させようとしている。当会はこのような動きを深く憂慮するものであるが、併せて沖縄戦に関する教科書記述についての姿勢を明らかにしたい。

1.教科書検定は「教育内容が正確かつ中立・公正で、地域、学校のいかんにかかわらず全国的に一定の水準」を保つものであることは、第一次家永教科書訴訟最高裁判決(平成5年3月16日)で明らかにされたとおりである。ここで重要なのは、何より教科書の記述が教育内容として「正確」であることである。いわゆる「集団自決」については、日本軍の「命令」や「強制」であるとする見解に有力な異論が近年提出されるに至っており、文部科学省の検定意見もそのような有力意見に配慮し、教育内容として「正確」を期そうとしたものであると思われる。数を頼んだ政治運動によって教育内容としての「正確」さを犠牲にするべきではない。

2.教科書検定は学習指導要領や教科書検定基準など全て法令に基づいて行われている。数を頼んだ政治運動によって、法令に基づいた検定結果が捻じ曲げられるのであれば、教育基本法の趣旨に大きく背馳するものと言わなければならない。昨年12月に改正された教育基本法によれば、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」(第16条第1項前段)である。これは教育が、教育行政を含めて全て法令によって行われるべきものであるという法治国家として当然のことを規定したものであるが、政府が教科書会社による自主訂正を容認する形であれ、事実上、検定意見を撤回するのであれば、明らかにこの規定に反することになる。政府が率先して法令を無視する形で「政治決着」をするのであれば、教職員に法令遵守を求めた教育基本法第16条第1項前段はもはや死文と化し、教育界を無法状態とする第一歩となることは言うまでもない。政府には教育基本法を遵守されたい。

3.以上のように、検定意見の撤回はなすべきではなく、仮にこれを許せば、検定制度は明確に形骸化してしまう。後に述べるように沖縄の県民感情に配慮することは必要だが、そのことと検定に例外を作ることとは別物である。県民感情には別のところで配慮すべきであり、もし仮に「県民感情」に配慮した形で検定意見撤回という事態に至った場合には、将来に大きな禍根を残すことは言うまでもない。例えば、近隣諸国から同じような動きが起こった場合に、その国の「国民感情」に配慮して検定意見の撤回をする事態を招きかねないからである。

4.しかしながら、参加人数3万5千人とも4万数千人とも11万人とも言われる9月29日の集会に集った沖縄県民の思いは、一部勢力に煽動されたところはあるにせよ、真摯に受け止めなければならない。多くの沖縄県民の胸中には、自身やその家族が犠牲になった沖縄戦について、本土側の無理解があるとの不満が渦巻いている。今回の動きも、いわゆる「集団自決」について検定意見が付けられたことを切っ掛けに、「集団自決」という歴史的事実自体が教科書で否定的に扱われるようになるのではないか、場合によっては沖縄戦における犠牲も軽視されるのではないか、という不安が背景にあると思われる。そのような不安は杞憂であるが、これまでその種の不満を掬い上げてきたのは特定の勢力であり、その点、我々は深く反省しなければならない。昭和20年6月6日、沖縄地上戦の海軍部隊司令官であった大田實少将が海軍次官宛に「沖縄県民斯く戦へり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」と打電し、後に自決したことはよく知られているが、凄惨を極めた沖縄戦における沖縄県民の尊い犠牲に対して果たして本土の側に「特別の御高配」があったかどうか、我々自身の問題として振り返ってみる必要がある。例えば、教科書記述においても、沖縄戦の犠牲について、感謝と共感を示す表現があったかどうか。中学校段階ではあるが、当会のメンバーもかつて執筆や採択に関わった扶桑社『改訂版 新しい歴史教科書』の沖縄戦の記述は「4月、米軍は沖縄本島に上陸し、日本軍の死者約9万4千人、一般住民の死者も約9万4千人を出す戦闘の末、2か月半のちに沖縄を占領した」にとどまっている。これでは沖縄県民の共感は得られないし、改善が必要であろう。これまでの教科書は、左右のイデオロギー対立の影響から、沖縄の県民感情への配慮が欠けており、改善すべき余地が残されていると考える。

5.なお、当会は、沖縄戦を中心に、焦点となっている近現代史の教科書記述はどうあるべきかを議論すべく、本年11月にも緊急シンポジウムの開催を計画していることを付言する。詳細は追ってお知らせするが、諸賢のご賢察を賜れば幸いである。
                                                (文責 事務局)

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