教科書改善の会

改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会(代表世話人・屋山太郎)

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第3回日本文明論シンポジウムが好評開催!

第3回日本文明論シンポジウム「世界史のなかの江戸文明―“日本の自画像”再構築へ向けて―」(11月22日(日)於:帝京平成大学冲永記念ホール)が好評開催!

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 今回のシンポジウムは、教科書改善の会が主催して昨年各方面より大好評だった「日本文明のこころとかたち」(登壇者=中西輝政・川勝平太・笠谷和比古・竹田恒泰先生。平成20年6月)、および「日本文明の創造力」(登壇者=村上和雄・渡辺利夫・呉善花・田中英道先生。20年11月)に引き続き、第3弾のシンポジウムとして江戸徳川期の文明をテーマとして開催しました。
 江戸時代=封建時代=暗黒時代といった、従来の偏った歴史観から脱して、近年、世界史的見地から再評価が進められている江戸文明の豊かさ、魅力に迫りました。
 また、江戸時代におけるエコロジー的な環境対応や循環型経済、市場経済の進展、教育の先進性、俳句やジャポニズムなど世界に影響を与えた文化芸術などについて、各分野のスペシャリストの先生方に存分に語っていただきました。
 主な登壇者に、芳賀徹氏(東京大学名誉教授・京都造形芸術大学名誉学長)、石川英輔氏(作家・「大江戸事情シリーズ」講談社文庫などの著者)、金森敦子氏(ノンフィクション作家)、鬼頭宏氏(上智大学教授・歴史人口学)、コーディネーターに伊藤隆氏(東京大学名誉教授、育鵬社歴史教科書編集会議座長)をむかえ、子供に伝えるべき江戸時代の実像について、あるいは教科書に載せるべき江戸文明の真価とは何か、新しい日本文明論を創り出すことを目指す立場から、総合的な検討を進めていただきました。当日の発言要旨を下記にお伝えします。



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≪主催者代表あいさつ≫

屋山太郎氏(政治評論家・教科書改善の会代表世話人)

 よく外国人から、日本には宗教はないというが、宗教なくして日本は何によってモラルを保っているのか、と聞かれることがある。それは武士道が日本にあったからだ。恥を知るとか出処進退とか家訓とか、いわゆる武士道と名づけられた大系が日本のモラルの柱であり、今日の日本人の道徳的な感情を支えている。日本の道徳の大系は江戸時代までに作られたもので、そうした江戸文明について今日は皆さんと一緒に勉強したい。



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≪趣旨説明≫

八木秀次氏(一般財団法人日本教育再生機構理事長・高崎経済大学教授)

 日本教育再生機構はフジ・サンケイグループの扶桑社の教科書専門会社・㈱育鵬社が発行する中学歴史・公民教科書の作成を側面からサポートしております。
 中学校の歴史教科書の中で6割以上のトップシェアを誇っている東京書籍を見てみると、いわゆるマルクス=エンゲルスの階級闘争史観によって一貫して描かれています。江戸時代の記述としては東京書籍が最も問題があります。「支配するもの」と「支配されるもの」の対立、「富めるもの」と「貧しいもの」の抗争、きびしい身分格差の歴史といったマルクス主義的な歴史観があちこちに見えており、抑圧の歴史として描く最も典型的なパターンが見えています。
 東京書籍は「身分制度は、江戸時代になってさらに強まりました」と本文に書き、絵画資料を交えながら「身分のちがい 身分によって、食事に差があることがえがかれています」との説明を加えています。しかし、ここに掲げられた絵を見てもどこに違いや格差が当時の食事にあったのか、どこに「きびしい身分による差別」があったのか、よくわかりません。
 享保改革についても「農村にも貨幣経済が広がり」、「貧富の差が大きくなり」とあり、幕府や藩が農民をいかに抑圧したか、苛めたかということが強調され、一揆や打ちうちこわしの様子が、絵とグラフによってイメージ付けをされ、厳しい抑圧に耐えかねて農民が暴動を起こしたというストーリーになっています。しかし今日の研究水準では、世界的見地から見て日本にはこの種の暴動は極めて少ないことが分かっています。
 さらに「外国船の出現と天保の改革」の章には、なぜか「歴史にアクセス 渋染一揆」のコラムが取り上げられ、これは章のタイトルや内容と何の関係があるのか一切分かりません。被差別部落団体の影響のようですが、このように支配する武士階級が支配される農民を抑圧するという歴史観があらゆる場面に出てまいります。
 しかし今日、江戸時代については世界的に見てもきわめてすぐれた時代として再評価されています。民度が高く、識字率が高く、文化程度が高く、エコロジー社会や循環型社会のさきがけとしての先進性が認められています。
 それなのに、教科書にはこうした江戸時代の先進性や優れた点が反映されていません。江戸時代の本当の姿をこれからパネリストの先生方が明らかにしていただけると思いますので、どうぞ御静聴をお願い申し上げます。



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芳賀徹氏(東京大学名誉教授・京都造形芸術大学名誉学長)

 テーマ「『徳川の平和』再考」

 今の教科書の江戸時代の描き方はおかしい。そのアナクロニズムには驚くべきものがある。例えば、松尾芭蕉は江戸時代の俳諧詩人といわれるが、文学的に見れば最も近代的、いや現代にも通じる前衛詩人ではなかったか。
「暑き日を海に入れたり最上川」。
 暑い暑い一日がいま終わって真っ赤な太陽が最上川の水流とともに海の中へと入り、ようやく涼しさを漂わせながら沈んでいく。これは断然、現代詩であり、これを読むと北村透谷や島崎藤村など比較にならない。世界・宇宙・天地山川を一挙に、静的でなく動的にとらえるスケールの大きい観察力、力強い洞察力。まさに現代詩と呼ぶにふさわしい。文学の分野からすると近世、近代の区分など意味がない。
 芭蕉とは「伝統日本が生んだ前衛詩人」だ。平安以来の和歌の雅(みやび)の数百年の伝統に対して、俗(ぞく)の素材を持ち込み、雅と伝統の古典世界とは次元の異なる斬新な境地を一気に切り拓いた、まさに前衛詩人だ。日本の伝統が持つ自然の美しさ・優しさへの視線、雅の日本人の感性を、今の現代にも通じる表現世界として提示した。どう考えても封建性や幕藩制のワクなどに当てはまらない。
 こうした芭蕉を生んだ江戸社会を「前近代の遅れた暗黒時代」のように悪く考える理由は全くない。芭蕉は回った地方の先々で大歓迎され、俳諧趣味を
通した知的なネットワークがあり、道や宿屋は整備され、盗みや追いはぎなどにまるで遭っていない。
 「徳川の平和」の時代がもたらした最高傑作の一つといえるのが芭蕉文学であり、それを支えた愛好者たちの文化的なネットワークであろう。そうした当時の社会的な豊かさ、蓄積、層の厚さや広がりこそが、江戸時代の本当の実像と見るべきだ。



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石川英輔氏(作家)

 テーマ「世界一の大都市・江戸に学ぶ生活の知恵」

 モノを作るというのは具体的な作業であり、抽象的に、いい加減に考えていてはきちんとしたモノはつくれない。その技術者の立場からいえば、江戸のモノづくりの技術は大変なものだ。
 江戸時代とは、「蒸気機関を使わないモノなら何でも作った時代」だ。伊能忠敬は日本地図を作るため全国の測量を行ったが、その測量器具を買うための器具のカタログまであった。
 錦絵の印刷を見ても、どうやって作ったのか、具体的に分からない高度な技術が山のようにあった。現代ではお金がかかりすぎて商業ベースでは引き合わないから再現できない。
 東芝の創業者に当たる田中久重が作った有名な「からくり時計」も、部品を全部分解して一つ一つ確認していくと、どうやって動かしたのか分からない部品があるという。
 これほど高度な技術を次々に生んだ江戸時代とは、簡単には説明ができないほど不思議な社会だ。封建制とか身分社会とかで簡単に割り切ることはできない。
 江戸はリサイクル社会であることが有名になってきているが、現代のようにモノを沢山作って沢山消費するのが幸せというのは、モノの見方として幼稚すぎる。
 かつては「リサイクルといってもそれでは産業が成り立たない」と反論されたが、産業どころか人間の生活自体が成り立たなくなることがようやく分かってきて、いま江戸社会が再評価されているのだろう。



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金森敦子氏(ノンフィクション作家)

 テーマ「旅日記にみる江戸庶民の実情」

  江戸時代、関所破りをすれば磔と決まっていた。しかし当時の庶民はじつに軽々と関所破りをしていた。関所は幕府が江戸を中心に53か所ほど設置して、各街道では必ず関所を通るようになっていた。17世紀になると女性たちも多く旅に出ていたが、関所を通るには必ず関所手形が必要だった。手形には幕府のお留守居役の直筆や判子が必要であり、その手続きが大変面倒で時間がかかった。そのため、庶民の女性は関所手形なんか持たないで旅行するのが常識だった。
 旅籠に女性連れで泊っていると必ず手引きする人が声を掛けてきて、お金を払えば夜になると静かにさせられ、関所の脇のくぐり戸へと連れて行ってくれた。このくぐり戸の下は多くの人が通ったために窪んでいた。関所破りは日常的に行われたから役人も知らなかったはずがないが、下手に露見すると役人の方も上から叱られるから、見て見ぬふりをしていた。一番警戒が厳しいはずの箱根の関所にも抜け道があり、関所を通らずに中山道の方に出られた。
 また、小学校低学年ぐらいの男の子だけで、たとえば奥州から伊勢まで旅行に行くような例が当時はよくあった。旅費を多くは持っていないのに周囲がサポートし、自分より弱い人、貧しい人には施しを与えるのが当然とされる時代だった。
 私たちが忘れてしまった感情が江戸時代の旅日記を読むと見えてくる。公式の記録には出てこない庶民生活の本当の姿や心の動きがよく見てとれる。



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鬼頭宏氏(上智大学教授)

 テーマ「環境先進国・江戸の文明システムに学ぶ」

  教科書にある「原始・古代・中世・近世・近代」の時代区分はもうやめるべきだ。文化・文明といった、世界のどこにも通用するような人間の生き方としての歴史、かつての政治史中心とは違ったイメージの歴史を作り上げるべきだ。
 いま「持続可能な社会」「循環型経済」などが叫ばれている。しかし何でも江戸に学べば良いというわけではない。江戸時代がずっと環境先進国だったというのは間違いだ。森林は荒廃し、環境問題も生じていた。有名な生類憐みの令には、鹿と猪や鳥が出たら「脅し鉄砲」の空砲を打ってよいとあり、鳥獣の世界に人間生活が及んでいた。江戸後期の17世紀から18世紀の最大の課題は少子化だった。江戸後期の125年は人口が僅か3%しか増えていない。現代のように晩婚化の影響から出生率が落ちていた。
 長期的に見れば人口増減は交互に何度か現れている。縄文前期は人口が増えたが後期は減り、弥生から奈良平安期には増加し、鎌倉期は少し減った。室町期の15世紀からは増え出すが、17世紀からは停滞し、幕末から増えていく。明治5年には3千5百万人、現在は1億2千万であり4倍近くに増えた。しかし、21世紀はこのままであったら増加は望めない。
 こう見てみると、江戸後期とは人口の停滞期ながらも色々な面で豊かな面があり、感性や表現力、識字率とか環境との折り合いの付け方とか、市場経済化が進んで庶民も旅を楽しめていた。鎖国のため人口は増やせないが創意工夫して国土と折り合いをつけ、決して悲惨な状態でなく豊かな状態を保った安定した時代であった。これを我々は見習うべきで、人口の停滞期とは、成長期に導入された生産技術や労働技術が天井にぶつかり、ある種の成熟を迎えた時期だ。海外の新技術や情報を取り入れて新しい伝統を作った時代だった。喫茶の風習、俳句、着物、歌舞伎、お祭り、方言、いずれも江戸時代に一つの形が作られた。いまは世界のグローバルスタンダードにより画一化されるのではなく、むしろ差別化をしていくこと、科学技術を取り入れながらも如何に日本独自の個性を作っていくのかが、問われている時代だといえる。

 (後日、田中英道氏の特別報告、および全体討論の様子をお知らせします。)  
 一般財団法人日本教育再生機構のホームページはこちら
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